自民党の武藤議員とジャーナリストの櫻井よしこ氏を批判した記事で、安保法案賛同者からこんなコメントがありました。
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安保法案を通してドイツのような「普通の国」になろうという趣旨の発言です。どうしてこの手の人は「普通の国」とか「普通の日本人」とかいう言葉が好きなのか不思議ですが、ドイツはイラクに派兵して50人以上の死者を出しています。私はこのコメントに対してそのことに言及して「貴方は自衛隊にも死んでほしいのですか?」と答えました。それに対する答えは以下のようなものでした。
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>>国際的な平和と協調を維持するためには犠牲も伴うんですよ。
>>権利ばかり主張して義務を果たさない人間など誰からも相手にされない。
>>それが普通の国と言うことです。
>>そして今の日本は普通の国ではない。


「国際的な平和と協調を維持するためには自衛隊員が死んでも気にするな」と言ってるようにしか聞こえませんが、この発言からすると、「普通の国」でない日本は「国際的な平和と協調を維持」することに貢献してこなかったということになります。自民党武藤議員も、「戦争に行きたくない」というのは「利己的」「国際社会における義務と責任を果たせない」と言っています。
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東洋経済オンライン参照

今回の安保法案は、政府与党の説明では「日本の存立危機事態」で集団的自衛権を持つというものであって、「国際社会における義務と責任を果たす」ために戦争をするためのものではないので、武藤氏の言っていることは政府の説明と完全に食い違っています。武藤氏が安保法案を理解できていないのか、安保法案が武藤氏の言うように実は「日本の存立危機事態」のためではなく「国際社会における義務と責任を果たす」ために集団的自衛権を行使するものであるのかはわかりませんが。

(言うまでもなく、私は後者だと思っています。そしてここでいう「国際社会における義務と責任を果たす」こととは、アメリカの負担を肩代わりするという意味に過ぎないでしょうね)

さて、この武藤氏しかり、どうも今回の安保法制に賛同している人を見ていると、現在の日本が「国際平和に貢献していない」と考え、「自衛隊を出して国際平和に貢献しよう」と主張している人が多いようです。安倍総理の掲げる「積極的平和主義」とはまさにこのような考えに基づくものでしょう。

しかし、果たして日本はこれまで国際平和に貢献してこなかったでしょうか? 私は事実は全く逆で、日本はこれまで大いに国際平和に貢献し、国際社会の中で責任を果たしてきたと考えています。

例えばまずODA。外務省によれば、日本がこれまでODAを供与したことのある国・地域は185ヵ国・地域に及び、90年代は世界一のODA供与国でした(外務省HP参照)。途上国からは大いに感謝されてきましたし、途上国の経済的発展は国際平和にも繋がることは外務省HPにもある通りです。今でこそ自民党批判(安倍政権批判)をしている私ですが、戦後日本のこの手の国際貢献は高く評価しています。
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BBCが行っている「世界にいい影響を与えている国」のランキングでも、2012年には世界一の高評価を得ています。(ただし安倍政権下で順位を落として2014年には5位に下がりましたが)
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BBC参照

日本は確かに国際平和に貢献し、世界で高評価を得てきたのです。武藤議員はじめ安保法案支持者には、現在の日本は国際平和に貢献していない、安保を成立させて国際平和に貢献をして世界で認められる「普通の国」になろう、と考えている人が大勢いるようですが、全く事実と異なります。日本が国際平和に貢献していないなど、それこそ日本を不当に貶める自虐史観と言わざるを得ません。なんでそんなに日本を貶めたいんですかね? よく学校の「自虐史観教育」のせいで日本人は自国に自信が持てなくなってしまったと言う人がいますが、日本人に自信を失わせているのは、そんな70年前の戦争に対する評価より、戦後日本の国際貢献を認めない武藤議員のような人たちなんじゃないですかね? 

(70年前の戦争を無理矢理こじつけて肯定的評価しようとするより、戦後の日本の誰が見ても立派な活動の方を積極的に評価、周知するべきだと思うけどね。と言っても、武藤議員は戦後日本が大嫌いみたいですが。70年前の日本ばかり好きで、目の前にある戦後日本が嫌いな奴のどこが愛国者だ?)

さて、最初に紹介した人のように「国際平和貢献には犠牲が伴う」と述べる人には、「日本は金だけ出して人を出さないから信頼されない」と主張する人も多いようです。湾岸戦争の時に散々言われましたね。しかし、果たしてそれは事実でしょうか?

シエラレオネなど世界各地で武装勢力の武装解除などを行い、「紛争解決請負人」とまで言われる伊勢崎賢治という人がいますが、世界各地の紛争を見てきた彼の言葉を引用してみましょう。
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 「金だけで血を流さない」とは、日本のタカ派政治家が、「だから日本の貢献は評価されていない」、「だから日本はバカにされている」と、日本の自衛力を海外派兵する口実に、頻繁に用いてきた。
  僕は、仕事柄、米連合軍の司令官クラス(少将、中将のレベル)と日常的なやり取りがあったが、「彼らは日本の資金的貢献をしっかり評価している」というのが実感である。これは決して僕に対する彼らの外交辞令ではない。そんなことを僕のような下っぱにやっても、相手にとって全く利益がない。日本の貢献を直接的に利用する相手側の軍のトップ連中の本音なのである。
 つまり、相手はちゃんと評価しているのに、評価していないと、その相手がいない日本国内で、日本の政治家たちは騒ぎ立ててきたのだ。 


 (伊勢崎賢治、講談社『武装解除-紛争屋が見た世界』より。 太文字引用者)

伊勢崎氏は、日本は実際には評価されているにもかかわらず、それをあたかも評価されてないかのように言いふらし、「『血を流さない』ことの引け目を国内で喧伝し、自衛隊を派兵する口実にしよう」としていることについては、「民族の自尊心を、国外に対する武力行使、もしくは武力誇示で満足させようという動き」(同書)の表れではないかと疑っています。

また、アフガニスタンで医療活動などの人道支援を長年にわたって行い、ノーベル平和賞候補とも言われる中村哲氏は、今年8月10日の山形新聞のインタビューで、日本は国連よりも信頼されてきて、「日本人」というだけで安全保障になっていたものが、近年「アメリカの手先」と見なされるようになって「日本人」というのが逆に攻撃対象になったと述べています。かつては日の丸をつけていると攻撃されなかったのが、逆に日の丸をつけていると攻撃されるようになったと。
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>>日本は中近東の人々が最も親密な感情を持つ国だった。
>>それが、だんだん「欧米の仲間になったらしい」という感じが伝わって、
>>それまで日本人であるという事だけで安全保障になったのが、
>>日本人であるというだけで標的になるように、少しずつ変わってきた。

>>前は、日本は国連以上に信頼されていました。
>>日本の旗をつけていれば、武装集団に襲われることはなかった。
>>9.11以降は日の丸を掲げていると逆に危なくなりました。
>>似たような国がドイツですね。
>>ナチズムの反省から憲法を作った国が、
>>世界的な潮流の中でアフガニスタン攻撃に参加した。
>>戦死者を出したうえに、イスラム教徒から恨まれ、
>>癒しがたい傷を残した。
>>日本は、その後を追いつつあるような気がして
>>仕方がないんです。


最初にコメントを紹介した人はドイツに言及していましたが、本当にアフガニスタンという紛争地を30年間も見続けた中村氏の言葉を聞けば、ドイツの後追いをしようなんて思わないと思うんですが。

また、中村氏は安倍総理その人にも言及しています。

>>一番の平和ボケは安倍晋三首相です。
>>「積極的平和主義」なんて言うこと自体がその証拠。
>>いったいこの人は戦(いくさ)というものを知っているのか。
>>いつでもリセットできる戦争ゲームのような、
>>あり得ない議論をしていますから。

戦争を火事に例えるのなんてまさにこの通りですよね。この火事に例えるのは、「法的関係性は関係ないんですよ」と言った磯崎氏が最初に言いだしたことだと思うのですが(参照)、火事は消せばそれで終わりですが、戦争はやめるのが難しいというのは太平洋戦争でもベトナム戦争でもイラク戦争でも証明済みです。安倍総理の現実離れした戦争観はまさに「平和ボケ」でしょう。「平和ボケ」とは「戦争嫌だ、平和がいい」と言うことではありません。本当の「平和ボケ」とは、戦争の悲惨さを忘れ、戦争が人を殺すことだ、自分が死ぬことだっていうことがわかっていない奴のことです。

中村氏は2014年6月5日の神奈川新聞では、集団的自衛権によって自分たちの平和貢献活動ができなくなると述べています。
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参照
>>(日本は)海外に派遣されても中で人を撃たなかった
>>だから他国を侵略しない国として交換を持たれている


>>アフガンに軍隊を派遣した欧米諸国は
>>市民から敵意のまなざしを向けられるようになった。
>>復興支援や医療活動をしている欧米の民間人は
>>誘拐や攻撃の対象となった。

>>集団的自衛権の行使によって欧米同様、
>>日本人と言う理由でテロの対象になれば
>>私の仕事は続かない。


安保法制賛成者の中には、最初に紹介したコメントのように、自衛隊を出さないと国際平和に貢献ができないかのように思っている人がいますが、実際には日本には中村氏のように平和維持活動を行って信頼を得ているNGOの人がいるのです。余談ですが私は中村氏の所属団体である「ペシャワール会」に毎年寄付をしています。

中には中村氏のようなNGOを守るために自衛隊を派兵する必要がある、と言う人もいるでしょう。しかし、アフガニスタンで30年間にわたって医療活動を続けてきた中村氏はそれをきっぱりと否定します。
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(2014年5月16日西日本新聞社)

>>日本が米国に加担することになれば、
>>私はここで命を失いかねません。
>>(安保が成立すれば)命を守るどころか、かえって危険です。


中村氏はこうも述べています。


>>"駆けつけ警護"なんかされると、これは我々困りますよね。
>>あくまでアフガニスタン国土政府及び住民を頼りにして
>>我々は活動してるわけですから、
>>そんないらんことはしないでくれと。
>>かえって良くないですね。

>>私はもうこれで日本は終わると思ってます。
>>日本が終わると言うよりは、
>>日本の一つの時代が終わる。
>>それはいい方向には終わらずに、
>>破滅に向かうんじゃないかと


安倍総理は集団的自衛権により「抑止力」が高まることで、自衛隊のリスクはむしろ「減る」とまで言っていますが、中村氏のように紛争地で活動している日本人のリスクは確実に増えるでしょうし、国家と違いテロリストはそんな「抑止力」など気にしませんから、イギリスやオーストラリアのようにテロ対象になるリスクは確実に増すでしょうね。

また、先ほど紹介した伊勢崎氏は、彼が世界で武装解除を実現できた理由として、「(日本が)利害から離れている」「中立な立場」だからだと答えています。
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(2008年11月16日放送・日本テレビ系『世界一受けたい授業』)

果たしてこの安保法案が成立して日本が米国と密着して行動するようになったとき、世界は日本を「中立な立場」と見なしてくれるでしょうか? 私はそうとう怪しいと思いますね。

彼は著書の中で、日本は傍観者であってはいけないし、「貧困を無くせば戦争はなくなる」と言って現に起きていに紛争に介入しない考え方については否定的な見解を示しています。日本国憲法は「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と書いてあるのだから、「遠い国の極地的な紛争にも、積極的に関わり、それを名誉ととらえ、日本の国益にせよ」という趣旨のことを述べています。この点では「積極的平和主義」者と言えるかも知れません。

しかし、彼の考える平和への積極的な貢献とは安倍総理が考える「武力による平和貢献」とは異なります。伊勢崎氏はこちらの記事で、安保法案によっていかにリスクが高まるか、いかに安倍政権の答弁が現実と乖離したものであるか、いかに日本の国益を損ねることになるかを詳しく書いています。彼は「『民心の掌握』という非軍事の分野で、マッチョなアメリカがわかっていても出来ない役割を、日本は『主体的に』できるはず」であり、「究極の国防とは、やたらに勇ましいことを国にすることでも何でもない、『敵を減らすこと』」だと述べています。
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アメリカにひっついて自衛隊を戦地に送るのではない、中立・非武装の国際平和貢献こそ日本がやるべきことだと伊勢崎氏は言います。安倍総理の進める「積極的平和主義」は、この「中立・非武装の国際平和貢献」を不可能にしてしまいます。この記事は一読の価値があると思いますので、是非多くの人に読んでもらいたいです。

私は集団的自衛権なんてなくても、戦後日本は国際平和に十分貢献してきたと思います。今後集団的自衛権を行使する「普通の国」になるのならば、それはこれまでの、中村氏が「国連より信頼されてきた」と述べる日本の中立の立場を捨て、敵を作り戦死者を出すことを覚悟せねばなりません。

私はそんな「普通の国」より、これまで通り、途上国からも先進国からも信頼され、戦死者を出してこなかった「普通じゃない国」の日本の方がずっと好きです。

私は日本が好きですし、国際的な平和と協調の維持に貢献するべきだと思っています。だからこそ安保法案には反対です。

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